我々が思ってるよりも長い歴史を持つ生命保険。今や生命保険は私たちの生活に欠かせない存在ですが、どのような成り立ちがあるのかはわからない人も多くいると思います。生命保険はいつから誕生して、どのように変わっていったのか気になりますよね。
そこで、今回の記事では
- 生命保険の始まりは海外から
- 労働者向けの生命保険の誕生
- 日本の生命保険の始まりはとある人物から始まる
これらの内容から、生命保険誕生の歴史や成り立ちについて紐解いて解説していきます。
生命保険の歴史がわかれば、生命保険の大切さや仕組みについてより理解が深まると思いますので、是非最後までご覧下さい。
生命保険の始まりは海外から|最初は牧師や資産家向けの特殊な制度だった
生命保険の歴史の始まりは海外から。誕生後しばらくは一般人向けではなく、牧師や資産家向けの特殊な制度だったと言われています。
それでは、海外のどこで、いつ始まったのか具体的に説明していきましょう。
1400年代イタリアの奴隷運搬の海上保険
生命保険の登場は、1400年代のイタリアから始まりました。奴隷運搬の海上保険として誕生したと言われています。
当時は奴隷貿易が盛んに行われていたそうですが、奴隷貿易に生命保険が役割を果たしていたのは驚きですよね。
奴隷運搬の海上保険については、論文にて紹介されていますので詳しく知りたい方はご覧になってみて下さい。
Nii論文:奴隷保険と生命保険--世界最古の真正生命保険証券
次に登場した保険はまた対象の違うものになります。次の見出しで解説していきましょう。
17世紀イギリス
17世紀のイギリスでは、教会の牧師達がお金を少しずつ積み立てる制度が作られました。制度を作った理由としては、仲間が亡くなった時の葬式費用をまかなうためと言われています。
しかしながら、この制度は10年程でなくなってしまいました。なぜなら、年齢問わず皆から毎月同じ金額を集めていたからです。高齢者は少ない保険料で保険金を受け取れていたことに若者の不満が募ってしまったのです。
その問題点に着手したのが天文学者のエドモンド・ハリーという人物。彼は「生命表」という、年齢別で生存者と死亡者の数をまとめた統計表を作成しました。生命表を基に、年齢ごとの死亡率を導いてその人に合った保険料を算出する事で不平等さを解消することができるようになったのです。
労働者向けの生命保険の誕生
労働者向けの生命保険の誕生は19世紀中頃と言われています。プルデンシャルローン保険組合が労働者向けの生命保険を販売しました。販売するきっかけには、産業革命が関係しています。
では、産業革命をきっかけにどのように労働者向けの生命保険が誕生したのか解説していきましょう。
きっかけは産業革命
労働者向けの生命保険が誕生したきっかけは、産業革命で多くの労働者たちが生まれたからと言われています。労働者たちが増えると、亡くなった時の家族の生活はどうするのかや葬儀の費用はどうするのか等問題点が多く出てきたのです。
そこで、ロンドンの労働者たちがプルーデンシャルローン保険組合に少額の生命保険を作るように申し入れて労働者向けの生命保険が開発されたと言われています。
これまでの長い歴史の中で、牧師や資産家だけが加入していた生命保険でしたが、産業革命を発端に一気に庶民の間にも広がりはじめました。
また、ロンドンだけでなくこのような保障問題は他国でも起こっていて、カナダでは国策として労働者向けの生命保険が導入されました。これが現在のマニュライフ生命保険の発端とされています。
日本の生命保険の歴史はとある有名な人物から始まる
日本の生命保険の歴史はとある有名な人物から始まりました。その人物とは、一万円札の顔にも使われている福沢諭吉です。
福沢諭吉は1868年に「西洋旅案内」という著書の中で欧米文化に浸透している生命保険について紹介したことがきっかけです。こちらは、一般社団法人 生命保険協会の教本にも記述があります。
日本で始めて生命保険会社が誕生したのは1880年です。日東保生会社という保険会社が設立されましたが、すぐに破綻してしまいます。その理由としては、人の生死を扱う会社という批判も多く日本人には受け入れづらかったことが考えられます。
その後、有限明治生命保険会社や帝国生命といった生命保険会社が次々に誕生しますが日本に普及されるのには時間がかかりました。
戦前の日本の生命保険の特徴
戦前の日本の生命保険には「徴兵保険」という保険が存在していました。「徴兵保険」とは、子供が大きくなって徴兵する際に保険金が下りる制度を指します。働き盛りの若者が出征してしまえば取り残された家族の生活が困窮する可能性があるため生み出されたと言われています。現在でいうところの「養老保険」や「学資保険」のように積み立て式の保険商品です。
また、戦争が激しくなってくると「戦争死亡傷害保険法」を政府が施行しました。これは、戦争で負傷したり死亡した際に保険金が下りる仕組みです。戦争に行くものと行かないもので公平さを保つために施工されたと言われています。しかしながら、お金に余裕のある家庭しか保険料は払えないですし戦時中で困窮していた家庭は保障を持つこともできなかったと推測されます。
戦後の日本の生命保険の特徴
敗戦後、大打撃を受けた日本の生命保険会社でしたが新たに体制を整えなおして再出発することになります。しかし、国民の所得は減っていたため、契約は取りにくい状況でした。
したがって、新たに月払いの生命保険を民間の保険会社でも取り扱えるようにして、再建を図ることになります。そこで活躍したのは女性の営業職員たちでした。日本には戦争で夫を失ってしまった女性が多く、その働き口として生命保険での営業職員(セールスレディ)が大量に募集されたのです。自宅訪問をする営業活動の仕方は女性に向いており、一気に契約件数を伸ばすことに成功しました。
また、戦前は養老保険や学資保険が主流となっていましたが、核家族化に影響を受けて保障の大きな終身保険などの商品が人気になっていきました。
第二次世界大戦後は外資系企業が進出
日本では日本独自の生命保険会社が奔走していましたが、第二次世界大戦後には海外から外資系企業が進出してきました。
1973年のアリコ(現メットライフ生命)を皮切りに、マニュライフ生命やアフラックなどが参入しています。
その主軸となる保険商品は第三分野保険であるがん保険で、アフラックは世界初のがん保険を生み出した生命保険会社です。
現在では多くの外資系企業が日本で生命保険を販売しており、多くの日本人が加入しています。
生命保険の歴史についてまとめ
今回は生命保険の成り立ちや歴史について解説していきましたがいかがだったでしょうか?
要点をまとめると、
- 1400年代イタリアの奴隷運搬の海上保険が始まり
- 17世紀イギリスでは牧師や資産家だけの特殊な制度だった
- 労働者向けの生命保険は産業革命をきっかけに誕生した
- 日本の生命保険は福沢諭吉が紹介したのが始まり
- 戦前の日本は徴兵保険という学資保険や養老保険のような積み立て型の保険が主流だった
- 戦後の日本はセールスレディの活躍で生命保険が普及し、終身保険のような保障の大きな保険商品が人気となった
でした。
生命保険の歴史を遡ると世界中で保障が求められていたことが分かります。生命保険は今も昔も私たちの生活を守る大切な役割を担っていることに改めて気付かされますね。
仕組みや基礎知識は別記事で解説!
また、生命保険の仕組みや基礎知識については別記事で解説していきます。生命保険の歴史を紐解いた後、さらに生命保険について詳しく知りたいという方はぜひご覧になってみてください。
生命保険とは?保障の仕組みや必要性・選び方をわかりやすく解説